その日、とてもおかしなものを見た。
■耳と尻尾と貴方の感情
「こんにちは」
「……こんにちは」
受付所に来たその人の頭にあり得ないものを発見し、しばし固まる。
(えっと、罰ゲーム?)
内心の動揺を表に出すようでは忍びとして失格だ。普段通りお疲れ様ですと笑顔を作る。
しかし、さらにその人の背後、腰の辺りで揺れるものを見て目を剥いた。
「あの」
それは一体何ですか、と聞こうとしたが遮られた。
「今日、お暇ですか?」
え、と顔を上げると、その人の右目がえらく熱心に自分を見下ろしていてどきりとする。
しかし、少し上に視線をずらすと、やはり頭の上にくっついているそれが目に入り、何とも奇妙な気分になった。
「良かったら飲みに行きませんか」
「えっと、はい。それは構いませんが」
それよりも何よりも、どうしても気になる事が一つ。
――どうしてあなたは獣のような耳と尻尾をくっつけているのですか?
それを聞こうとした瞬間、尻尾はぱたぱたと揺れ、耳はぴょんと立つ。驚いて瞬きを繰り返していると
「じゃあ、お仕事が終わるまで待ってますから」
にこにことそう言って、その人は受付を後にしたのだった。
その夜、居酒屋のカウンターで他愛のない話をしながら、その耳を隣から観察して見た。
耳は決して作り物ではなく、しっかりとこの人の頭皮から生えている。ふさふさと、柔らかそうな細い毛が揺れる。
尻尾も同様に毛足の長い、綺麗な銀色。
「でね、……あの、何かついてます?」
「あ、いえ」
つい、話を聞いていなかった事を指摘されてしまったような気がして慌てて否定してしまったが、よく考えて見ればしっかりついている。耳と尻尾が。
「そんなに、じっと見詰められたら緊張しますよ」
「は、はは」
笑いつつ、すみません、と謝る。
なんだか、最初驚いた時に聞かなかった所為で、何となく聞きづらい気分になっていた。
この人が、あまりにもその耳と尻尾に頓着していない所為もある。
まるでそのようなものは存在していないかのように、普段通りの態度をとっている。
気にする方がおかしいような気持にさえさせられる。
「お待たせしました」
店員さんが、先程頼んだ秋刀魚の塩焼きを運んできた。やわらかく湯気立つそれは、程よく焦げ目がつき、食指を動かされる良い匂いがする。
皿が机に置かれた時だ。尻尾が大きく揺れた。
嬉しそうに、まるで犬のように。
先程だしまきが運ばれてきた時はそんな反応はしなかったというのに。
「好きなんですか?それ」
「え」
驚いた表情で振り返る。どうして分かったのか、という顔で。
(えっと、無意識なのか?)
「見ていれば分かります」
「そう」
言葉通りの意味だ。
彼はうつむいてしまいその表情は計り知れなかったが、尻尾がそわそわと揺れていた。
その後、結局耳と尻尾については何も聞けずに店を出た。
「結構飲んでたみたいですけど、大丈夫ですか?」
聞くと、大丈夫だと答えが返ってきたが、どうも少しだけ足取りが怪しい。これほど飲んでいるのを見たのは初めてかもしれない。
顔は布に覆われていて見えないが、もしその頬が朱に染まっていたら可愛いだろうと、不埒にも考えていた。
「送っていきますよ」
「そんな、結構ですよ」
そう言いながらもその揺れる尻尾は何だ、と言いたい。
「いいんですか?じゃあ俺はこれで」
少しばかり意地悪をしたい気分になってそう言うと、とたんに耳も尻尾は垂れ下がった。
酷くしょんぼりとした様子に苦笑を噛み殺す。
「やっぱり送ります」
ぴょん、と耳は立ち上がり、尻尾はさっき以上に大きく揺れる。
「はぁ。じゃあ、お願いします」
しかしながら表情も変えず、声色も平常通りのまま、彼はそう言った。その様子に、今度こそ噴き出してしまった。
それから数日経って気づいた事。
どうやら耳と尻尾は俺にしか見えていないという事。それは本人すら、見えていないらしい。
でも。
(どうして俺だけなんだろう)
「今日も、良かったら夕ご飯一緒に食べませんか」
受付に来て、そう誘う。最近は頻度が増した。
最初、耳と尻尾が面白くて頷いていたが、最近は純粋に一緒にいる事が楽しくなっていた。
表情の変わらない顔に以前は苦手意識を持っていたが、感情をありのままに表す耳と尻尾のおかげで、そんな意識なぞ忘れてしまった。そうなると、この人の深い知識や経験、人間の深さに興味を抱くようになった。
「すみません、今日は飲みに誘われていまして」
告げると、途端耳と尻尾は垂れ下がる。表情は変わらないのに。
「そうですか、仕方ないですね」
そう言って去っていく背中が、酷く寂しそうに見えて、胸が苦しくなった。
「あの!もしよければいらっしゃいますか?」
咄嗟に声を掛けていた。
「でも、お邪魔でしょう」
「いえ、そんな事はないです」
だって飲みに誘ってきたのは、この人の知り合いでもあるのだ。
いや、寧ろ俺よりずっと深く知っている仲なのではないだろうか。
「なんでお前がここにいるんだ?」
待ち合わせた店に行くと、既にその人がいた。煙草をふかしながら、だるそうに言う。
「あの、俺が誘ったんです。すみません、勝手に」
「いや、かまわねぇ」
席について、適当に注文をする。ふと隣に座るその尻尾の毛が逆立っていた。
(怒ってる?)
「あの」
どうしたのかと問おうとして顔を見ると、いつも通り何を考えているのか分からない表情で淡々と注文をしていた。
(誘ったの、悪かったかな)
なんとも気まずい気分になったが、この状況を作り出した張本人として、自分が頑張らなくてはと、訳の分からない使命感に燃えた。
「……なんでこの髭が一番酔っ払うわけ?」
場を盛り上げようと頑張った結果、それに応えてくれたこの人が貧乏くじを引いてしまったのだ。
「俺が飲ませ過ぎちゃいましたね。責任とって送っていきます」
足取りの覚束ない巨体を支え、それじゃあ、と別れを告げる。
やはり彼の尻尾の毛は逆立っていた。
「もう、大丈夫だ」
暫らく歩いたところで、肩によりかかっていた体が離れた。
煙草の匂いが遠ざかる。
彼の足はしっかりと地面を踏み、とても酔っている様には見えなかった。
「え」
「悪い、話がしたかったんだ」
「あ」
そうだ、と思う。彼は自分をただ飲みに誘う理由なんて無いではないか。何か話したい事があったのだ。そう思い至って、自分の浅はかさを恥じた。
最近は理由もなく、銀色の耳と尻尾のあの人と飲みに行ったり夕ご飯を一緒に食べたりしていたので何とも思わなかったけれども、上忍が中忍をわざわざ食事に誘うなど、普通そうあるものではない。
「すみません、俺」
「いや。おまえ、あいつの事が好きなのか?」
突然言われた内容に首を傾げる。
あいつと言われて、今の流れで思い浮かぶのは一人だ。しかし。
「あの、それはどういう」
「付き合ってるわけじゃないよな」
「はあ?」
目を見開いて相手を見上げると、目が合った。
酷く熱心な眼差しに、俺はどきりとし、同時に既視感を覚える。
(ああ、そうだ)
受付で、初めてあの耳と尻尾を見た時だと気付く。
――今日、お暇ですか?
そう言ったあの人の視線と、同じ。
「俺はおまえの事が好きだ」
その言葉に、頭を殴られたような衝撃を感じた。よく考えてみれば、あの人とあれほど頻繁に会って、個人的な付き合いをするのは相当おかしな事だ。
耳と尻尾に気を取られていて、気付かなかったけれども。
(嘘だ)
本当は気付いていた。
あの耳は、いつもどんな言葉も逃さないように、こちら向かっていた。笑いかけると、必ず尻尾は大きく揺れた。
他の人間に、そんな反応を見せているところなど、見た事がないのに。
そして何より、いつも、あの右目は熱心に自分を見ていたではないか。
ふと我に返って、おかしくなった。告白を受けたのは、別の人間からなのに。
「ごめんなさい」
謝ると、彼は煙草の煙を吐き出すように、ふう、と溜息を吐いた。
ごめんなさい、ともう一度繰り返した。
「そうじゃないかと思ってはいた」
ただ言いたかっただけだから気にするな、と言われて、はい、と頭を下げる。
「で、あいつの事は?」
「どうも、好きみたいです」
照れてしまって、鼻の傷を掻きながら言うと、やっぱり、と返された。苦笑と溜息と共に。
ふと、突然視界に影が差したと思うと、彼の顔が目の前にあった。
「!」
接吻される、と目を瞑り身を竦ませると、鼻を齧られた。
「な!」
「キスの方がよかったか?」
「ば、馬鹿なことを言わないで下さい!」
怒鳴ると彼は笑った。そして、頑張れよ、と言って去って行った。
「仲がいいんですねぇ」
唐突に真後ろから声がして、驚いて振り返る。
「い、いつからそこに居たんですか」
「つい今。やっぱり手伝おうと思って」
あいつ、図体でかいから。そう言う尻尾の毛が逆立っていて、どうやら怒っているらしいと気付く。
(いや、これは)
「キス、してました?」
手が伸びてきて、親指が唇に触れる。
「して、ませんよ」
「嘘」
見てましたよ、と言う。
「やきもちですか?」
視線が交わる。この人はずっと、怒っていたわけではなく嫉妬していたのだ。居酒屋でも。
「気付いてたんですか」
「つい今」
彼の言葉を真似て言ってみる。
「俺とあの人は、何でもありませんよ」
「本当に?」
頷いて、その耳に触れてみた。ふわふわしている。触ったのは初めてだ。
「何してるんですか?」
「いいえ。何でもありません」
俺の行動は不可解だろうと思う。本人にはこの耳は見えないのだから。
「あのね、俺は結構奥手だし、恥ずかしがりなので滅多に自分からこういうことは言わないんですが」
(その、耳と尻尾に免じて俺から言いましょう)
「あなたの事が、好きなんです」
告白に、表情の殆ど変わらないはずの顔に、驚きの表情が広がる。
「え、な、」
何て言いましたか。と慌てて問う人に、もう一度だけですよ、と言って。
「あなたが、好きです」
すると耳が闇に溶けるように消える。
「あ」
尻尾を見ると、やはりもうそこには何も無かった。
(消えてしまった)
少し残念に思っていると、抱きつかれた。不意のことで驚いてしまう。
「わ!」
「俺も、好きです。あなたが好きです」
その声はとても切羽詰っていて、普段の抑揚のない低い声とはまるで違った。
だから、まあいいか、と思った。
END