帰ってこない。
彼が帰ってこない。
――帰って来れたら言いますから
彼の声が最近は耳鳴りの様について回る。
その度に最悪の考えを起して喚き散らしたくなる。
幾度も己の手で部屋を荒らした。
棚をひっくり返して床に叩きつけ。
箪笥からは全ての引出を取り除いて。
巻物、書物、衣類、文具が床を埋め尽くすどころか山になった。
それでも足りず、台所へ侵入。
食器類を全て割ってしまえと引き戸を開けた瞬間目に入ったのは彼がよく使っていた湯呑茶碗で、自分はそれを握り締めたまま台所に蹲っていた。
只々後悔が己を苛む。
冷たい湯呑に頬を摺り寄せ、子供の様に声を上げて泣いた。
――最悪の、考え、後悔、ばかりだ。
自分でもおかしくなっているとは気付いている。
今までこれ程情動の激しかった事はない。
それでも止める事が出来ない。
気鬱になる事も、何も食べる気が起きない事も。
同僚に呑みに誘われ、酷く気が進まなかったが頷いた。
荒れる自分を、ずっと気遣ってくれていたからだ。
家にばかり引き篭もっていても何にもならないだろ、ぱーっと嫌なこと忘れて呑もう。
皆も呼んでさ。ほら、明日創立記念で休みだろ?
一生懸命に誘ってくれる同僚に、久しぶりに少しだけ本当の笑顔を返せた。
報告書を提出しに来たナルトが、無邪気に甘えてくれる事に一々安堵する。
そしてそれが彼なりの気遣いだと感じて自分も勤めて明るく振る舞う。
ナルトとの関係が修復される様で憂鬱だった気分が僅かに晴れた。
それなのに。
「イルカァ、俺ァずっとオマエの事が好きだったんだ」
同僚の男の顔が間近過ぎて、吐き出される呼吸の酒臭さに酷い嘔吐感が込み上げる。
顔を避けようにも平衡感覚がおかしくなる程、脳がアルコールに侵されていて。
久しぶりの酒の席を楽しもうと思って深酒してしまった。
相変わらず食べ物は匂いがどうも鼻について食べる気が起きず、只々呑んだ。
目の前が回り始めた時に来た酢豚の匂いに吐気を堪えきれなくて席を立った。
立てばふらつく足元に、送るという申し出を断らず甘えさせて貰った。
「なぁ、いいだろ?」
腕を、腰を、撫で回す掌の熱さが気持ち悪く、更に意図を持って耳元で発せられた声に嫌悪感が込み上げる。
「悪い、けど」
断りながら道端で身体を寄せてくる同僚を押し返した。
いや、押し返したつもりだけだった。
身体は一寸も動かず、離してくれと見上げた顔が異様な近さだ。
それが更に近づく。
流石にその意図を理解して、慌てて腕を突っ張ろうとしたが、明らかに抵抗をねじ伏せる力で拘束される。
逃れなくてはならないのに逃れられない状況に脳内が混乱する。
――いやだ。
「や、だ、やめ!っか、カカシさん!!たすけッ」
「カカシ?」
不審の色を滲ませた声。
「まさか、おまえカカシ上忍と?ッやべぇ黙っててくれ!オマエもカカシ上忍と付き合ってるなら早く言えよ!!」
慌てて離れた同僚は逃げるように去っていった。
酷い嘔吐感が再び襲う。
俺は道端へ倒れる様に座り込んだ。
見上げた月は白銀で、美しくどこか冷たく、しかし優しく。
まるで彼の様だと思った。
彼に会いたい。
もう手遅れだろうか。
彼がいい。
――もう恋人にしてくれとは言いませんから
もう、手遅れかもしれない。
それでも、もう、いい。
彼を拒絶しても、この気持ちが消えなくて濃くなって。
大切な人達を傷つけた自分。
自分への戒めと思った。
だけど。
最後微笑みながら傷ついた顔をしていたのはあの人だ。
あの人を苦しめた。
今すぐあの人に会って言いたい。
手遅れだって構わないから。
貴方が好きです。
貴方が好きです。
貴方でなくては、駄目なのです。
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